かなしみをかこう
いきることが くるしみであるならば わたしはこれからも ずっといきるだろう しが かなしみであるならば わたしは まだかなしくない。
あなたはどんなうたを?恋の?友情の?人生の苦しみの?なにもなければ、悲しみのうたを書こう!かなしみをかくのはかんたん。たとえば、
かなしい
そう。とってもかなしそうだね!そのちょうしだ!!もっとかなしいときは、
とてもかなしい
とかいてはいけない。そのかなしみは
ただ たんに おおきさ が おおきい かなしみ
ではなく
かたちのちがうものだから。
「かなしみの歯車が見つからない。そこではおわらないかなしみがめぐりめぐり、」 「えっなにをさがしているんですって?そんなものあるんですか?なぜそれを探していることを我々に説明しようと思ったんです?一緒に探してほしいんですか?」 「そんなものないからです」
これはわたしが昔かいたことにいま決めた小咄の一幕だよ。
うどん粉をそば粉に言い換えよう
これは 別にかなしくないね!
なぜわれわれはかなしみを説明しようとするのか?それはわからない!なぞだ!
わからない ことは わるいこ とではないが おまえは わるい
なぜぼくがわからないのかわるいのがよくないことだそうだね?(そうだ)
われわれは同じ文章を繰り返すことによって練習する。同じ文章を繰り返すことを練習することを。この文章を385日の2000倍繰り返すと死ぬ。
言葉が乱れていることはべつにふしぎではない!いいえ、不思議です!たとえば物語上の設定によって言葉を失った熊の話を想定する。(物語上の設定とは何だ。もうついていけない。)
熊「おおお」 空に、おおきな穴が まっくろい あいている!(子等) 「それは穴でないよ 夜というの」(その子等の母なのか?) 「いや、知ってますそれは。そうではなくて、本当に穴があいているの。ちゃんと空を見てたしかめもしないで、まるでわたしがなにもしらないかのようにいうので げきおこです」(子等) 「私は日本語がはなせてもききとれないので・・なにをいっているのかわかりません・・・」(母親ではなかったのか?もしかして・・・)
もしかして……
かなしみを癒す棒のことを、sadstickといいます。わたしは、わたしの心や体の健康に気を使う!いいぞ!そのちょうしだ!あしが じめんに しずみこむように あるけ!