言語
考えよう!と思って考えているときならびにいま考えていると自覚しているときは
考えはいつも自然言語で行われているのではないか
ぼくははたして、言語によらず思考したことがあっただろうか?
言語によらずに思考していると思われる瞬間は、
たんに概念に対応する言語表現が見つからなかったことによって生じるのではなくて
実は何にも考えておらず、そのあいだ人間は本能や反射だけで行動しているのではないか
なんどもおなじことをかんがえることによって
いままで自然言語でわざわざひょうげんしていたことがらを
だんだんがいねんのままであつかうことができるようになり
それですなわちぼくでもあたまがよくなることができるというしくみが
あるのだといままでしんじていきてきましたが、それはじつはちがって、
頭の回転がはやいといわれるようなぼくいがいのぜんじんるいをさすひとびとは、じつは
(今日のひくつなことをいうノルマがまだのこっていて、じつはそれを消化するためにこれをかきました。
というのも、ぼくはいちにち3かいはひくつなことを言わないとねないことにしているのですが、
きょうはまだこのときまでに、2かいしかひくつなことをいっていなかったのです。
しかしいま言ったので、これでようやくねむれるというわけです。
ほんじつはみなさん、どうもありがとうございました。)