テキスト文章

下品な記事を書かないと死ぬ、と組織に脅されて仕方なく書いています。

sec.1

 有希が振り返る。いままでこっちを見ていなかった。いまはみていない。
いまに、みていることになる。さっきまではなにをみていたかといえば、デスク上に放り出された雑誌などをみていたのではないか。それとも年季の入ったデスクマットの傷などに視線を合わせてなにか考え事でもしていたのだろうか。私はいまここに沸いたばかりだからわからない。
 少し前の。有希が振り返るよりも早くここにいたことにはなるのだが、それ以前にどこにいたのかということはあまりよくわかっていない。現在のところ、調べるための道具が不足しており、不足した道具全体の集合の中に、頼りになるものがあると仮定すれば、たとえばそれは、度の合わない眼鏡かもしれず、父が置いていったたくさんの書籍とともに、書斎でみつけた眼鏡ケースと眼鏡は、私には全く似合わないし度も合わないのだが、そもそも眼鏡をかけるのに十分な近眼ではなかった当時、賢さの象徴であったかのような父の眼鏡を盗み出したのは、それが私に憧れの父を投影させてくれるものだと思っていたかもしれない。理想の人物が父であり、父とは眼鏡であった私にとって、その眼鏡をかけることが理想の自分に近づくことだったといってみてもいいだろう。
 なにかにぶつからずに教室にたどり着くことすらできないその眼鏡を外したのは中学でも高校でもなく大学で有希に会ってからで、部室棟の廊下で相変わらずふらついていた私に有希が教えてくれたのは理想を脱ぎ捨て自己を認める12の方法ではなくて、父の眼鏡が老眼鏡であるという事実だった。信じられない話かもしれないが、私は眼鏡というのは視力+5とか視力+7とかの区別しかなく、かければ誰でも分け隔てなく視力が一定値強化されるものだと考えていたのである。理想の眼鏡が幻想だと知った私は、脱いだものの、捨てられず、いまでも鞄であるとか、右のポケットであるとか、そういった、身の回りのどこかに、父の眼鏡を模した自作のポスターカードを忍ばせており、もちろん視力+2と描かれたそれを取り出すことで、私の観察力というか、探偵として生まれたわたしの潜在能力が、数値にして2ほど上昇する手筈である。こんなものが頼りにならないというのだから、私の3次元ポケットが如何にその価値を発揮できずに
くすぶっているかわかるというもので、当然いまもぶら下げている3次元鞄や、2次元嫁なども、中身は空気である。空気が役に立たないかという話になると、これは少し難しい問題だ。どうしておまえはここにいるのかと問われて、あなたに吸われるためですと答える道理はない。その回答は私によって異なる。今回の私については、ご覧のように調べるための道具が不足しているといわざるをえない。
 そうして、何もかも忘れて私は立ち尽くしていたと形容される状態にあり、立っている姿のその左手は空気入りの三次元鞄が、右手は宙をつかみ、膝は震え、みていた。振り向く有希の横顔が、だんたんと斜めになり、そして正面を向くのを。これが私を怖がらせた。
「これは現実でないが故にいくつかの制約が生じることを理解してもらわなければならない。」
 というのだ。
何を言わんとしているのかまったく理解できなかった訳ではないが、物語には文脈というものがあり、話にはきっかけというのが必要だった。突然わいて出た私にはなんの前後関係も理解できないその言葉を素直に解釈しようと言う気はなく、なにをいっているのかわからないという体で次の言葉を待つことが精一杯の礼儀作法と思い込んでいた。
というのも、このとき実際には飛んだりはねたりすることを期待されていたのではないかと思うのである。
 「制約とはーー、」これは有希である。私が飛び跳ねるために必要な選択肢の整理を行うのにかかった時間は、今回はわずかばかり長過ぎたようで、これを反省として次に生かしたいと考えるも、飛んだり跳ねたりする行為の強要が礼に適った行動であるようには到底思われず、先に一言断ってもらいたいとすら思っていた私は、その言葉の発現にため息すらもらしていたと思うのだ。以下、有希の発言が続く。
 「制約とは何か。私が君を驚かせたり、喜ばせたり、考えさせたりすることは非常に難しい。たとえば進級単位を満たすために履修した興味のない講義のように、君の目には私の言葉・要求・行動が詰まらないものに見えてしまう。これが現実ではないからだ。君は当たり前のように危険に立ち向かい、天気予報を信じるように奇跡の招来を信じる。仮に私がゲイだったとしよう。今から君に襲いかかるつもりだが、君は当然のようにそれを回避することができると信じている。そうだろう?」
 それが恐怖の正体だ。宙をつかむ手は何かを拒んでいる。そこにいくつかの可能性が散在する。例えば、「方法はいくつもある。思いつかない何かで対処することもできるだろう。ただ単に悲鳴を上げて逃げることもできるし、鈍器で殴りつけて気絶させてもいい。ずっと私を好きだったことにして、受け入れることだってできるだろう。したがってこれは君にとって困難な問題ではない。考えるべきことはなにもない。だからわたしにとっては最も困難な問題だ。」
「これが現実であれば私は飛びかかれば済む話だが、
たった今そこにわいて出たばかりの君は、私を殴りつけることによって生じる様々な良くない状況、私から逃げる際に考慮しなければならない容易ならざる検討事項、私を受け入れることに伴う不愉快な現実を、無視しても良いことになっている。これが制約だ。しかし、今に見ていろ。」と書かれたA4の方眼紙が私の前に差し出されてから数十分が経過しており、いつどのような表情で顔を上げるべきかが私の課題だった。
「いい方法が見つかりましたか?」などと言って実際に回答が提示される運命はご免被りたいというのが当面の構えである。
 L字に並んだデスクの一方に腰を下ろして足をぶらぶらさせている私は、いつまでこのようにぶらぶらさせていただけるのかはなはだ疑問であったが、いづれにせよ禁止されるまではこうしていて良い訳なので、物語が物語を自動的に完結させるまではこうしていようと心に決めてさえいたのだ。しかしどうやら、問題の方も問題の方で自動的に解決することを決意したらしかった。彼女の言うことには。
 「私の答えはこうだ。私は君だった。私たちは同一人物で、私はゲイで、しかもいまから君に襲いかかろうとしている」
 これは現実ではないが故に、物事にはいくつかの制約条件がある。私のできることはごくわずかで、その順番すら自由ではない。文脈によって事象の範囲を規定する道理は実のところ有希の手のひらの中にあり、手のひらには折り畳まれたポスター・カードが入っている。カードには右下に小さく緑の文字で視力+2と記されており、これは私の観察力が数値に換算して2ほど上昇する効果を現しているというより他に説明の仕方がない。結局のところ、私は驚き、それから喜び、最後には考え込んだ。