テキスト文章

下品な記事を書かないと死ぬ、と組織に脅されて仕方なく書いています。

「みぞねは会計で忙しい」

とりもち「みぞね。ちょっと使いにいってくれ」
みぞねは呼ばれたくなかったので、きのせいだと思うことにした。
とりもち「みぞね!!」
みぞね「なんじゃ!いまは、会計をしていて、いそがしい」


みぞねのうちはガラスをつかう。溶鉱炉でどろどろにしたやつを、かためて、けずって、
灯りにつけるかざりだとか、眼鏡レンズだとかにして買ってもらう。
会社は鳥餅石英加工という。みぞねはその会計をつけているといったが、じっさいは、
すうじばかりのノートを見つめて、かいけいをする、かいけいをする、と
じゅもんのように唱えているので、まわりがそうだといっているだけで、
本人はいすにすわってただぼうっとしている気なのだ。
そのノートというのも、10年まえだか、20年まえだかに、そのころの社員が
つくったらしいもので、納戸の奥に古い作業着と一緒になって眠っていたのを、
どういうわけだかみぞねが勝手に引っ張り出して来たものだから、
なんのきもない客のいうのをきいて、社員までもが、みぞねがどこかで習って
会計をつけはじめたのだと思い込んでいる。


今日もみぞねは、その、普段とりもちが帳簿をしまってある鍵つき引き出しの横の、
木のぎしぎし鳴る小鹿のような足の椅子にほどんど座ったままで、
いつ見てもそこで、右手に炭を握ってぶつぶつと、唸っているようだったから、
じつはそろそろ便所にいきたいと思っているころで、とてもお使いなんぞにかまっている暇はなかった。
そうおもって反抗したのに、声が小さすぎて最後の方は自分にもききとれないぐらいだったから、
とりもちはかまわず続けた。みぞねも声が小さかったのはじぶんのせいだから、しかたなくききいれるしかなかった。


とりもち「シロゴが足りないので、ちょっと一枚とりにいってくれよう」


しろごといっても碁石の白いほうの石のことではなく、素材につかう石英のことなのだ。
白とか黒とかいうのは石英を作るときに、そのつくりかたのよって、石の硬さとか、とけやすさが違って、
色がすこしかわるから、その白っぽい方をしろ、黒っぽい方をくろと呼びわけているのである。
しろをつかうときは、ふつうみぐねのうちではとかさないで、そのままけずって使うから、
いまとりもちが、奥の作業台の方でなにだかカチ、カチ鳴らしているのは、決して詰碁をならべていたのではなく、
知り合いに頼まれた見るだけのいるかを、つくっているのだとおもう。


「しろの、なんじゃ!しろの5番か!?」


きこえていたはずなのにみぞねがまたきいたのは、みぞねがあほだからである。
しろの五番といえば、とりもちがいちばんよくつかうがらすだから、ほかにまちがいようもないのに、
みぞねは他の、例えば碁石の白い方をたのまれたのではないかと不安に思って、わざわざ訊き直した。
とりもちも、いちいちこたえるのがめんどうなものだから、片足をすこし踏むぐらいの動作で、
このめんどうなやりとりをかたづけたいと、おもったのはいまにはじまったことではない。


まえまえからおもっていたので、つくっておいた。ペダルと、テープをつかって、自動的に、返事をするようになっている。
とりもちは片足を、作業台の下の、二つのペダルの一方にのせて、ぎゅっとふんだ。
テープには二種類の音声があって、踏むペダルによって、どちらの音声が、帳簿台のスピーカーから飛び出るか、
決まるようになっていた。今日は、「そうだ!」だった。
「そうだ!そうだ!そうだ!」
三回も繰り返したのは、ふみ加減をまちがえたのもあるし、はやくいけという意味を
つたえたかったからだと、とりもちはおもっていた。じっさいのところ、3回に2回は、ふみ加減をまちがえるのである。